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Podcast229 君は死にたいと思ったことがあるかね。
君には思考能力がある。突然の質問を失礼するよ。死にたいと思ったことがあるかね。僕にはある。普通の生活をしていて、普通の人々と喋って、普通に食事をしていると思うことが…ある。死にたいと。そんな自分に嫌気も感じる。そして、その嫌気を糧にもっと死にたいと思ったことがある。
死んだら、楽なのだろう。死ぬことですべての苦痛から逃れられるのだろう。それは確実だ。しかしながら、すべての楽しさも、嬉しさも失うことになる。今日以前の幸福・今日以降の幸福を失うことになる。
今、それでもいいと思った者はとても苦痛に見舞われているのだろう。すべての幸福から身を遠ざけ、それを対価にすべての苦痛から逃れることを願っている。
僕も同じことを考えていた。この苦痛から逃れるためなら、どんな代償もいとわないと…失せろ。すべての苦痛もすべての幸福も僕のものだ。すべて自分のものだ。誰一人、僕の幸福も苦痛も理解させてなるものか。すべてのモノは僕のモノで僕のモノはすべてのモノだ。君の苦痛も幸福もすべて僕のモノだ。
人の幸福を喜び合うことは素敵なのだろう。嬉しいことなのだろう。馬鹿げている。他人の苦痛も享受することで幸福と呼べるのだ。
僕のモノは僕のモノだ。君のモノも僕のモノだ。こう…考えたことはないだろうか。誰も僕のことを理解などできない。誰も僕のことを理解などできない。誰も僕のことを理解などできない。その通りだ。誰も君のことは理解できない。だからこそ、理解したいと思える、そして理解されたいと思ったヒトが大事なかけがえのないヒトになるのではないだろうか。
コーヒーを毎朝、淹れてくれる人が欲しいのではないだろうか。それに対し「苦い」と苦言を呈してみたい人生ではないのだろうか。
君の命なのだ。僕は架空の苦痛を対価に君の命に問いかけてみた。
問いとは偏ったものである。正解なのか、不正解なのかわからない。だからこそ、この場を借りて君に問いかけたい。君の幸福と苦痛は誰のモノなのか。
僕は君の幸福も苦痛も知っていきたい。そして、僕の幸福と苦痛も知っていただきたい。大切な人が欲しい。そう考えたときに大切な人がいない自分に空虚になりそうな死にたい現場。ただ、忘れていたのだ。自分が愛されていることを。そうして死にたいという欲求は消え失せた。