配信の日記を書き始めるよ。

僕はRadiotalkで配信を始める前、そしてポッドキャストをSpotifyやApplePodcastへアップロードする前、そのもっと前はコンテンツ投稿サイトnoteでブログを書いている暇な人だった。この当サイト『Fullcity ポッドキャスト』は元もとはブログを書くために開設したホームページなんだよね。それでもポッドキャストを投稿するためのサイトに変えたのには理由がある。それは「寂しいから」なんだ。今、活動している配信アプリはRadiotalkであって、LIVE配信を主としてコンテンツを発信することができる。リアルタイムでデバイスの向こうの"どこかの土地の、どこかの誰か"とトークをしている日々だ。その形が僕にはとっても似合っている。Radiotalkを始める前にコンテンツを投稿していたと言ったね?ポッドキャストとコンテンツ投稿サイトnoteだ。つまり収録とブログだったこのコンテンツの形はリアクションがあるが、そのデバイスの向こう側の"どこかの土地の、どこかの誰か"のイメージが上手くつかめなかった。とても「寂しい」ことだよ。このデバイスの向こう側に自分の行動が"どう"影響しているかを想像しきれない形が僕には似合わなかった。そこで始めたコンテンツが配信アプリRadiotalkなんだ。配信アプリは良い。リアルタイムでデバイスの向こう側の"どこかの土地の、どこかの誰か"のリアクションがコメントやギフト(投げ銭)で見て取れる。…はずだった…

先の文章は、まるで「ブログ、ポッドキャストはデバイスの向こう側を見て取れず、リアルタイム配信はデバイスの向こう側を実感できる」と言っている。最近、それは違うと思った。デバイスの向こう側の"どこかの土地の、どこかの誰か"の本名も知らなければ、性別だって知らない。生い立ちだって知らないし、当然、僕のことも知らない。(僕が男性である確証はない。)そんな"どこかの土地の、どこかの誰か"の感情をリアクションやギフトで本当に見て取れるものだろうか。実は僕でもその傾向は見て取れる。例えば笑うというリアクションをコメントへ反映させるとき「笑笑」とか「www」とかのコメントをする。もし本当にデバイスのこっち側で笑っていたとしても『笑う→コメントする』の時差で僕はコメントをする瞬間は笑っていない。反対に僕が配信したとしてリスナーさんのコメントに感情が籠っているのかというと今度こそ信憑性が怪しくなってくる。しかし…だ。

本当に感情が100パーセント反映された言葉なんて配信以外(例えば、プライベートなど)で聴いたことはあっただろうか。ない。すべての人は感情を少なからず隠す。その隠れた部分と隠れていない部分の比率で性格が形作られるのではないだろうか。本当に憎い相手へ怒っている時、恋人と愛し合っている時、親友とトークをする時。全てで100パーセント感情を反映した言葉は発せられない。僕が考えるに、感情が100パーセント反映されるのは自分自身の内でのこと。感情は本心や本音、思考となって現れる。

つまり、本当に楽しい配信をした時、「本当に楽しかった」とリアクションできる人はいないのである。そう分析すると、どうだろう。ブログ、ポッドキャスト、LIVE配信の僕の中での境界(本当のリアクションをしてくれる場所の違い)を考えるのは、とても難しい。要するに、僕はLIVE配信でもポッドキャストでも、ブログを書いていても本当のリアクションを得ることは難しいのかもしれない。本当のリアクションではないから、他のコンテンツへ自分を表す(つまり、営業にも似た挨拶回り)ことが配信などのコンテンツの盛り上がりを見せるテクニックなのでしょう…。

と…考え込んでしまうのが、配信などのコンテンツを楽しめない大人たちです。大人たちには時間が無い。楽しむことを忘れて、コンテンツの効率や数字や人気度合いを分析してしまう。彼らはこれを様々な言葉に変えて肯定してしまう。数字で盛り上がっている、盛り上がっていないを分析している。間違えてほしくないポイントは分析をしてしまうことに哀れみを感じているのではないということ。盛り上がっているコンテンツというのは当然「数字」が大きく分析結果も好印象となるのは当然の話です。(それが狙われた数字でも…)ここのトークの肝は数字が無いから盛り上がっていないと断言してはいけないということです。100人のリスナーが居たとして僕という配信者が居て、50人には関心を持ってもらえるでしょう。その内の25人は僕のことが必ず嫌いになるでしょう。そして残りの25人は僕に好印象を持って下さるわけです。100人のうち75パーセントのリスナーは僕が嫌いなのです。しかしながら、残りの25パーセントのリスナーは必ず自分を好きでいてくれる優しい、共に歩むべきファンです。この分析を考えれば25パーセントのリスナーをどう楽しませるかを念頭にコンテンツを作り上げれば盛り上がっているコンテンツとなります。…しかしながら、僕ら大人は不自然に不可思議だ。100人のリスナーを1,000人にして、25人のファンを250人にしようとしている。正直、僕には、どちらが正解か分かりません。どちらも盛り上がる配信です。しかし、先もトークした通り、"どこかの土地の、どこかの誰か"であるデバイスの向こう側のリスナーのことが1人でも理解することが出来ないのに、25人のファンを250人にしていく魅力は僕にはあるのだろうか。

分析をしない配信者は…良い。素晴らしい。配信を楽しんでいる様子が見て取れる。そしてリスナーへベクトルが向いた配信者も良い。僕は今、どこにコンテンツとしてのベクトルを向けているのだろう?リスナーか?これからの配信環境か?…それとも自分自身なのか。僕はリスナーを知りたい。人気とか分析とか数字とか面白いとか楽しいは、また今度別の機会に…。

…という様に、様々なことを考えて、そしてまた自分の中だけで答えを訂正して…の繰り返しをしている僕、Seichanは頭の中の整理をしたいがためにブログという形を使って日記や思ったことをリスナーへ提示させて頂きます。配信やポッドキャストでトークしても良いのだろうけど、身勝手なトークはしたくはありませんからね…。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA